忘備録:2日目「斎場御嶽」
朝日を見ようと早めに起きると、同室の彼女の置手紙が。
「おばぁへ、朝日を見に行ってきます。」
私も急いで浜辺に向かいました。
ギリギリでしたが、朝日を見ることが出来ました。
久高島のことを説明するのは難しいけど、
日本じゃない。
映画のセットのように。
存在しない世界のように。
今でも行った実感がないんです。
存在しない世界のように。
幻をみていたような気がして。
宿に戻るとおばぁが朝食を用意してくれていました。
食料は船で運んできていて、基本は自給自足。
貴重な食材です。
でも、「あれも食べなさい」「これも食べなさい」と孫に振る舞うように。
朝食を食べて、不思議に思っていたことを聞きました。
「何で場所によって、空気とか温度が違うの?」
-あんたはそういうの(霊感)が、強いほうかもね。
そしてイザイホーのこと。
おばぁは実際にイザイホーに出ていて、深くは話しませんでした。
(福岡に戻った日、金縛りに。イザイホーの音楽が流れた)
やっぱり、普通の島じゃない。
船まで時間があるので、部屋でごろごろ。
一つの本がありました。
本というか、一人の人間について書かれた文集でした。
久高島には「久高島留学センター」という施設があります。
ここには全国から不登校や引きこもりなど、問題を抱えた子供たちが集まります。
わずか人口250人の過疎の地で、農業をしながら学校に通い再生を図る。
私が見つけた本は、そのセンターで働いていた「トミー」という女性にあてられたものでした。
何故「働いていた」と過去形かというと、トミーは亡くなりました。
海での指導中に溺死。享年25歳。
そのとき、私も25歳でした。
なぜ沖縄に、そしてなぜ久高島に来たのか。
なぜ久高島留学センターで働こうと思ったのか。
久高島での生活は?
どんな生活だった?
彼女の人生は、どんな色だったのだろう。
船の時間ギリギリまでずっと読んでいました。
会ってみたかったなぁ、トミーさん。
帰ろうとおばぁのところにいると、留学センターの女の子が。
一緒に食べなさいって、果物をご馳走になりました。
こうやってよく家に遊びにきて、お話しするみたい。
お互いに支え合う。
それが本来の人のつながり方なのかもしれない。
帰るときにおじぃに会えました。
おじぃは三線を演奏できるけど、その年おばぁに不幸ごとがあり三線を聞くと涙が出ると。
来年はきっと大丈夫だから、演奏するから「帰ってきなさい」って。
すごく嬉しい言葉。
おじぃの船に乗って安座真港に戻りました。
この日の目的は「斎場御嶽(せーふぁうたき)」に行くこと。
港からバスで行こうとバス停へ。
バスを待っていると、何度もタクシーの運転手さんが。
私タクシーが得意ではないので、バスを待ちます。と断りました。
すると1台のバイクが。
自分も御嶽の方に行くから乗っていきなさいと(笑)
不思議と受け入れることが出来たので、お願いすることに。
(周りの人からは、怒られました。危ないって。)
この方は那覇の方で、仕事で東京や福岡にいたこともあるそう。
初バイク・・・ジェットコースターみたいで怖かった。
途中ニライカナイ橋に寄ってくれました。
沖縄を一望できる、特別な場所。
すてきな出会いだったなぁ・・・。
困っている人を損得なしで助けられる。
沖縄に行くといつもそういう人に出会える。
御嶽、かつて琉球の御嶽はその全てが男性禁制で、
斎場御嶽では庶民は入口の御門口を越えることは許されず、
国王であっても越えるには袂の合わせを女装に改める必要があったという。
近い将来、男性禁制そして全面立入禁止になりそうな気がして。
(2000/12にユネスコの世界遺産に登録されています)
まず5分程度、ビデオでアナウンスがあります。
観光客のマナーが悪く問題になっているようで。
こんな神聖な場所でマナー違反って。
入ってみると、やっぱり空気が違う。
重いとか暗いとかじゃなくて、張りつめていて澄んでいて。
近寄りがたいような・・・うまく説明できない。
高台からは、さっきまでいた久高島を眺めました。
久高島も御嶽も「許された人だけが行ける」と言われたことがあります。
欠便等で行けなかった場合「行かない方がいいと判断された」と思いなさい、と。
そのくらい神聖な場所なんです。
いつか男性だけでなく、全面的に立ち入り禁止になりそうな気がする。
行けて本当によかったです。
帰りはバスに乗り、国際通りをぶらぶらし2泊3日の沖縄旅行が終わる。
今でも久高島のことをよく思い出します。
今年は忙しくて行けなかったけど、来年こそおばぁの笑顔とおじぃの三線に会いに。
*
「再生の島(著者:奥野修司さん)」という本があります。
この本は久高島留学センターについて書かれています。
私の兄はいじめに会い、不登校になり大人になった今も問題を抱えています。
もし兄が苦しいときに、こういった施設・活動があると知っていたら?
今が違ったものになったかも、と考えてしまう。どうしようもないけど。
どうか、久高島留学センターのこと。
そこで戦う人のことが広まっていきますように。